-1200年余の時を超える-隅寺心経とは?

隅寺とは、現在の奈良県にある海龍王寺を指しています。

 

時は奈良時代。都が平城京へと移された際、政治の中心にいた藤原不比等に邸宅用として、都の一角に土地が与えられました。

この時与えられた土地には寺が建てられていましたが、藤原不比等はこれを取り壊すことなく敷地に残します。この寺が現在の海龍王寺の前身です。寺は敷地の北東隅にあったことから、後に隅寺とも呼ばれるようになりました。

 

邸宅は藤原不比等没後、娘の光明皇后が引き継ぎましたが、寺も残されます。光明皇后は仏教を深く信仰しており、遣唐使として唐(中国)で仏教を学んできた僧・玄昉(げんぼう)に、この寺を与えます。玄昉はこの寺を「海龍王寺」とし、都における仏教修行の地としました。

修行は多岐に渡りますが、とりわけ般若心経を書写する写経は盛んに行われました。唐から持ち帰った大量の経典が、多くの写経生(僧)によって書写されたのです。このことから、隅寺(海龍王寺)で書写された写経は隅寺心経と呼ばれるようになりました。

 

当時書かれた隅寺心経のうち、数十点が今も各地に残されていますが、中には空海筆とされるものがあります。若き日の空海が、遣唐使の無事を願って写経を納めたと伝わっているのです。

 

 

隅寺心経を書くということは、1200年余りの時を経て空海の筆跡を追体験することでもあるのです。